創建400年、東京都青梅市にある臨済宗建長寺派の寺院です。
共同(無縁)墓地、ございます。

東禅寺では、後継者のいない方や様々な理由でお墓を建てない方のために、共同(無縁)墓地を造営しております。
静かな墓地の中に、二人用(夫婦他)・個人用があり、正面には聖観音の像が安置されています。一般のお墓の場合、親族による定期的な掃除が行われず荒れ果ててしまうと無縁仏と呼ばれていますが、共同墓地は私たちがまとめて管理を行うため、無縁墓にはなりません。
また、亡くなられた後三十三回忌までは私たちが供養を行いますので、ご家族がいらっしゃらない方やご家族にお墓管理の負担をかけたくない方にも安心してご利用いただけます。
最終的には50基ほどの新設を予定している共同墓地
●一代限りの墓地です。
●三十三回忌をもって土に帰します。
●三十三回忌後は、墓誌に戒名を刻みます。
●年一度の合同法要を営みます。
このような方は、ぜひ共同墓地をご検討ください。
●お墓を管理する人がいない。
●親族に負担をかけたくない。
●費用を抑えたい。
●無縁仏になるのが心配。

この度、東禅寺では合祀の場所もでき ました。
見学は随時受け付けております。
お墓のことでお悩みの方はお気軽に
お問合せ、ご相談下さい。


東禅寺の縁起
東禅寺は、吉野織部之助が新町村開拓に際して、羽村一峰院から秋岩和尚を招いて元和2年(1616)(新編武蔵風土記稿では慶長19年1614年)に開創、建長寺28世覚海禅師を勧請開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による東禅寺の縁起
(新町村)東禅寺
境内除地一町六段七畝二十八歩、禅宗臨済派、鎌倉建長寺末、金賜山と號す、本堂舊間半に五間半南向、本尊正観音は坐像の銭佛なり、長一尺餘、弘法の作と云、開山秋巌、開基は吉野織部之助共に卒年を傳へざれど、この寺を草創せしは慶長十九年なるよしを云。
表門。四趾の造りなり、別に又通 用の門あり。
鐘楼。八尺四方鐘は近来の鑄造なり。
薬師堂。二間餘四方、本堂より南に當り路を隔たり、ここも除地の内なり、長一尺餘の木像を安す、傍に庵一宇あり、留守の僧これに居る。
山王祠。小社、是又除地の内にあり。
(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による東禅寺の縁起
東禅寺(金錫山)
新町にあり、本尊は関東十三鉄仏の一体といわれる聖観音立像である。元和二年(一六一六)吉野織部之助が新町村開拓の時、羽村一峰院から秋岩和尚を招 き開創したが、建長寺二十八世覚海禅師を勧請開山とし、建長寺未となった。本堂は昭和三十二年の改築であり、庫裡は平成元年、客殿は同二年、あわせて境内の整備も行われた。境内に明治五年廃宗廃寺となった鈴法寺の薬師堂が移築され、本堂に掲げる「武叢禅林」の木額も同じく鈴法寺の遺品で、これは市有形文化財に指定されている。
(「青梅市史」より)

檀信徒会館(鈴法庵)
この建物は、新町開村・当山開創四〇〇年記念事業として、多くの檀信徒の皆さまのご協力のお陰で建築することが出来ました。檀信徒会館『鈴法庵』の名称は、お祀りして在る薬師如来が元は同じ地区にあった鈴法寺(普化宗・廃寺)よりお預かりしてあるものなので、このように銘々させていただきました。建物内訳に付いては、青梅街道に面している部分に、新町薬師をお祀りし、その背中部分に檀信徒会館(鈴法庵)を併設、内部はホール・和室(八畳二部屋)・水屋(台所)となっており、隣接建物にトイレ・配膳室がございます。通夜・葬儀、法要後のお食事、会議などの打ち合わせなど、多くの方にご利用いただけます。ホール六十四脚・和室三十脚の椅子をご用意、その数の机もございます。少人数の葬儀(家族葬)や多人数の葬儀などにも対応出来ます。
※葬儀祭壇は鈴法庵既存の物、葬儀社の物、どちらでも構いません。
※お食事は、仕出し業者を紹介いたします。(お知り合いがいらっしゃれば、そちらでも大丈夫です。)
※仏事以外にもご利用いただけますが、寺にそぐわない物はお断りする場合もございます。

